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『東京の自然史』について 続

前回紹介した当該書にかかわる雑誌記事を、以下順番に紹介する。
まずは初刷り刊行ほぼ1月後の『朝日ジャーナル』誌1964年12月13日号の書評である。

「自然をかえてゆく人工」
最近のわが国経済のいわゆる高度成長にともない、国土ははげしく変貌しつつある。その様相は、とくに大都市においてはげしい。土木技術の進歩により、従来は考えられなかった大規模工事が可能となった。それで都市の再開発は、都市の顔を見違えるほど変えてしまうようになった。変わってゆくのは顔のみではない。地盤沈下によく象徴されるように、現代都市の深部では、自然そのものさえ変質しているのである。
「現在ならびに将来の東京は、人工が自然改変の第一の力となり、それによって良くも悪くも改変されると考えられる。そしてどのような改変が良い改変なのかは、東京の自然の深い理解と考慮の上に求めねばならないだろう。また、東京の土地利用は、家屋密集地ほど地盤が悪く、水害や火災の危険にさらされている、といった面が少なくない。このような土地の不合理な利用を改めることも東京の重要課題であろう」と著者は主張する。
東京の地形・地質
東京湾満潮位以下のいわゆる0メートル地帯は、国電環状線内の面積よりも広い。この低地は、過去約千ないし二千年間に、主に自然の運び出す土砂で埋立てられ陸となったのに、それがわずか五〇年間に再び海面以下の土地となってしまった。この一例でも、これからの東京開発には、土地の性質をよく知って、長期の見通しを持つ必要がある。このような立場で、著者は、現在の東京の自然がどのようにしてできたかを、数多くの学術文献、官庁の地盤や地質調査報告などに基づいて、じゅんじゅんと解説する。
全編は、(一)東京の自然、(二)武蔵野台地の土地と水、(三)氷河時代の東京、(四)下町低地の土地と災害、(五)東京湾の生いたち、(六)むすび、より成る。東京都民にとってなじみ深い各地点の地形・地質とその成因が、本書を通読すると、一通りはっきりしてくる。しろうとにはややわかりにくい学術用語も散見されるが、説明はていねいであり、多くのわかりやすい地質断面図などの図形が五三もあり、理解を大いに助けている。とくに武蔵野台地の地形・地質とその発達史的解説、関東ローム層の分布や厚さとその生成発達に関する詳細な解説は、著者ならではの念の入ったものである。
これらの説明が、国電や私鉄の車窓からの視角にも注意を払っているので、一読後、東京の工事現場や車外の景色をながめるのが、だれでも非常に興味深くなるに違いない。山手にはなぜ坂が多いのか。むかしの富士見の名所。隅田川以東にはなぜ高層ビルが少ないのか。地震の被害はどんな地層の場所で多いのか、といったさまざまの疑問は、本書によって地形・地質的にはっきりと知ることができるであろう。
開発計画への忠告
しかし、本書の意図は、そのような地学的興味を満たすためではなく、冒頭の引用にもあるように、これから人為的に激しく変革すると予想される東京の開発計画に、確実な地学知識の裏付けがいかに大事であるかを読者に認識させるにあるようだ。
というのは、現在では実際の工事計画者や施工者と、地学および考古学者らとの連繋ははなはだ不十分であるからだ。たしかに工事に先立ってボーリングなどの調査はかなり行われるようになったし、掘さく中に小判や人骨でも出れば必ず考古学者が出動するであろう。しかし、そのような協力は本質的な協力ではない。宅地造成、地下鉄、地下街、高速道路、マンモス・ビル、などの大工事にともない、最近の東京では、大量の土砂が掘られ、運ばれ、埋められている。しかも、この傾向は今後ますます強くなるであろう。
先進諸国では大きな開発に当っては、計画段階から必ず地学者や考古学者が加わっている。それによって、現在の土地の特性を計画におりこむことができる。のみならず、著者が力説している、地盤沈下などの災害要因を含めて、開発が自然に与える影響も長い目で推測することができるであろう。
著者も指摘しているように、現在の東京では工事などで現れた地学上の重要断面なども、地学者の目にふれず永久に埋めもどされ、学術上貴重な発見があたら失われている例が多い。そのような損失を避けるためにも、これからの開発に当っては、建設技術者と地理学者たちとの密接な協力体制がきわめて望ましい。技術の進歩と経済の発展が、とくに大都市において自然を変えうるようになった現在、それはおそらく都市計画の成否を左右する一要因とさえなるであろう。
その前提として、東京都民なかんずく建設工事などどなんらかの関係のある人びとが、啓蒙書として書かれた本書の内容を常識として体得することが強く望まれる。さらには、将来の東京を築く、高校生や大学生諸君が、この程度を常識として東京の地形を車窓からながめるようになることを希望したい。(東大助教授・高橋 裕)

この時点から59年を経ようとしている。
都市開発と地理・地学との「協力」はどうなったであろうか。
かつての、そしていまの高校生や大学生が、『東京の自然史』の要点を「常識」としているであろうか。

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