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齋藤愼爾氏のこと

 3月30日の午後2時近く、神保町の路地を歩いていた。どこの桜なのか、薄く積もった花弁が風で路面を流れて行った。知人から訃報メールが入ったのはその時だった。フェイスブックの情報ということだったが発信元は確かめなかった。胸を突くものがあった。

 ネットでは同日午後5時の報。各新聞紙のベタ記事は翌日か翌々日だった。ネットニュースの主文は「齋藤愼爾さん(さいとう・しんじ=俳人、文芸評論家、編集者)28日、老衰で死去、83歳。葬儀は近親者で営む。喪主は弟齊(ひとし)さん」である(朝日新聞デジタル)。

 些細なことで愼爾氏と袂を分かったのは、20年も前だったろうか。しかしかつては、私の跡をついで某出版社の編集責任者となったY君から「芳賀さんは齋藤さんとマブダチだから」とよく言われたような間柄で、「マブダチ」とは親しいというよりも「同志」の意味あいを含んでいただろう。端折って言えば、彼は60年安保、我は70年安保世代なのである。
 
 大学を4年で中退、紆余曲折のなかで身過ぎのために出版社に身をおき、義務のように稼ぎ仕事に精をだしていたが、その社で最初の翻訳出版を成功させ、また齋藤氏と縁を得て、それまでは彼岸にあった文学や評論の分野に手を伸ばせることになった。私は嬉しかった。彼のお陰もあってようやく「編集者」になれた思いがあったからである。

「同志」というのは、氏は私が高等学校の生徒だったときから秘かにその書いたものを読んできた吉本隆明氏の信奉者で、吉本氏宅訪問や吉本氏を囲む集いなどに屡々誘ってもくれたからであった。ただしそもそも私と齋藤愼爾氏との縁がどのような契機ではじまったのか、いま詳らかにしない。それは、意図的に自分の記憶から追放したことかも知れない。
 
 氏はいわば伝説の人である。かつて誰かが出版記念会で、「齋藤愼爾さんは怖い人というイメージがあった。まずその名前の画数が多すぎ難しすぎる」と言って集まった人々を笑わせたが、それはある意味で示唆的であった。日本海の「飛島」で少年時代を送り、山形大学を中退、「深夜叢書社」という名の一人出版社の社主にして俳人、という簡単な経歴からも、その異貌の一端はうかがえる。

「やや小柄で痩せていて、わけても猛禽を思わせる顔立ちは、議論に対していつも臨戦態勢にあるかのように鋭いが、それでいてまなざしはどこか優しく、加えてまた、深く刻まれた皺がそれなりの年輪をこの風貌に与え、にもかかわらず、全体として永遠の文学青年を思わせる若々しさをも失っていない」。野村喜和夫氏は『齋藤愼爾句集』(芸林21世紀文庫、2002年)の解説(「ロマネスクから名辞以前へ ―齋藤愼爾句について」)でまことに適切にその風貌をスケッチした。

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 対して、愼爾氏を「妖精」と呼んだのは瀬戸内寂聴氏である。少々長くなるが以下引用する。

「齋藤愼爾さんからこの本の企画を聞いたのは数年も前であった。すっかり忘れていたら、突然ゲラが送られてきた。だいたい齋藤さんは人間の姿はしているが、私には妖精にしか思えないので、その言動もおよそ非現実的で本気にしていなかった。それだけに、目の前にどかんと置かれたゲラのうず高さにびっくり仰天してしまった。/自分の文章があるので気になって、そこだけ拾って読みはじめたら面白くてやめられなくなった。まぎれもなく自分の書いたものにちがいないのだが、妖精の手に撫でられると、妙に摩訶不思議な色艶が加わったようで、なかなか名文に見えたり、気の利いた文章に見えたりするのである。これだけ抜粋するためには、むやみに量の多い私のエッセイを、齋藤さんは少なくとも数回は読み返してくれたにちがいない。/つづいて、齋藤さんの文章を読んだら、これがまためっぽう面白い。博学の妖精から、私は大変実のあるレクチャーを受けて、すっかり物識りになった気がした。/それから、いよいよ、俳句を読みはじめた。これがまた興味津々、俳人でもある齋藤さんの選び方に一本筋が通っていて、世間の物指ではない妖精の物指で選んでいる。/おかげで、私は、一晩眠ることが出来ず、アメリカへ発つ前夜に、書かねばならない原稿をそっちのけで、このゲラのとりこになってしまった。齋藤愼爾さんは、はじめて会った三十年前から少しも年をとっていない。嫁ももらわなければ、〈深夜叢書〉なる怪しい城にひとり立てこもり、御飯なども食べているのやらいないのやら。つまり人間ではないから、霞と夢を食べて生きているらしい。/この本はそういう妖精の昼寝の夢から生まれたものであろう。すべては妖精の手品に頼って出来上がった本なので、共著というのは何だか面映ゆい。それでもこんな面白い本は、誰彼に贈ろうと、愉しみにしている」(『生と死の歳時記』瀬戸内・齋藤共著。1999年)。

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 実際、愼爾氏は「僕は、1日1食、睡眠時間3時間」と言っていた。酒も飲んだが、美酒を少々。こちらは当時飲みはじめれば記憶がなくなるまでを常としていたし、勉強家には程遠かったから、それに対する妖精の訓告だったとも思えてくる。いずれにしても、私の齋藤愼爾氏追悼5句のうち2句に「妖精」の語を使ったのは、もちろん瀬戸内評によるのだが、それが野村スケッチにあるように、かの風貌そのものでもあったからである。妖精とは言うものの、いつ歯をむいて嚙付くか知れない存在。その風姿は、「孤島の孤立」によって、小中学齢期に鋳つくられてしまったとみることもできるのである。

 報道の「老衰」の語とはギャップが甚だしいが、野村氏も言うように愼爾氏はいつも「若々し」かった。氏との縁で私が編集責任者となって刊行できた書籍に『必携 季語秀句用字用例辞典』(1997年)、『寺山修司・齋藤愼爾の世界』(1998年)、『太宰治・坂口安吾の世界』(1998年)、『明治文学の世界』(2001年)の4冊があるが、そのうち「寺山・齋藤」のサブタイトルは「永遠のアドレッセンス」なのである。これらはその企画と素材提供、そして構成までを実質齋藤氏に負っていたから、サブタイトルも氏の言葉にほかならない。だがアドレッセンス伝説は意図して仕立てられたというよりも、避けようもない氏自身の生の軌跡でもあったと思われる。

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 そのアドレッセンスがもたらした、編集者としての情熱と資質は、比類ないものであった。ちなみに近隣の公共図書館の検索で「齋藤愼爾」と入力すると、1989年から2022年まで69点がヒットし、国立国会図書館のそれでは1161件に及ぶのである。
「永遠のアドレッセンス」とは、言い換えれば「永遠の憧れと焦燥」である。そのことを埴谷雄高氏は「天性、あちこちに顔を出すおっちょこちょい」(『夏への扉』帯文、1979年)と言い換え、愛惜したが、私などが俳句に手を染めるようなことになったのは、愼爾氏の次のような「おっちょこちょい」文(『身體地圖』帯、2000年)の賜物でもあったのである。

「奇才 いな 鬼才というべきか 畏るべし芳賀啓 『身體地圖』は近代の懸崖から垂鉛された一代の奇書、稀書、貴書、危書、飢書、悲の器書である。三行詩形式「打越‐前句‐付句」は「生‐死‐再生」「テーゼ‐アンチテーゼ‐ジンテーゼ」「序‐破‐急」の喩か。刻々に改訂されることにおいて地図は肉体に相同じい。〈実體〉の仮りの写し繪=地圖とかりそめの肉體。彼は己が身體地圖を己が眼の虚空を凝視することで、聖なるものの通過した肉體が、荒地に等しいことを知るだろう。/三十億年分の夢を見るという胎児の記憶が紡ぎ出す古代から未来に至る都市着色版画集。記紀万葉から前衛・思想小説までの本歌取り、宇宙大に拡大された身體感覚。「正義なるファンタジーあり地球星」の地上の規範の破砕。「極星とホームの端は詩に似たり」の銀河鉄道の夜の詩人の孤独。そして「共に棲む区切りの夏の果てにけり」の寂寥。人間の廃墟を夢見ながら、任意の縮尺の内に封じられた地圖の限界を超え、都市の断崖を歩く途方もない歩行者、刮目の第一詞華集(齋藤愼爾識)」。

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 深夜叢書社刊とは言え、華麗、過分な言葉の列には、まことに恐縮したものであった。ただ愼爾氏と別れた後で、これまた知人の編集者との縁で講談社から上梓した拙著のタイトルは『江戸の崖 東京の崖』(2012年)である。齋藤氏の「都市の断崖を歩く」という言葉には、いまさらのように予言めいた力を認めざるを得ない。

 人は俳人と言い、自身それを認めてもいたが、私は氏を広い意味での詩人であったと思っている。高校生時代、秋元不死男の主宰する『氷海』に投句して以来、いずこの俳句結社にも結縁することはなかった。そのことが逆に、「文学としての俳句」を目指した齋藤氏の句の純度を高めたであろう。新興俳句の旗手の一人に師事し、無季や超季を至然としながらも、自身は有季定型、旧仮名遣いに依拠した趣きがある。上野千鶴子氏も指摘するように、一定の季語がフェティッシュに頻用される。「木枯」や「枯野」に「梟」、「蝶」と「螢」「空蝉」そして「百日紅」「蟻地獄」等々。それらを梃子として、イメージの領域をかぎり、極地化するのが愼爾句作のスタイルであった。

 私が齋藤氏の代表句と目してきたのは『冬の智慧』(1992年)の冒頭「百日紅死はいちまいの畳かな」である。しかしあらためてみると、『齋藤愼爾全句集』(2000年)および前出「芸林21世紀文庫」では、「いちまい」は「いちまひ」とされていた。仮に誤植でないとすれば、その意は何処にあるのか。しかしそれを本人にたしかめるすべは、永遠に失われたのである。

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