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愚かしい「本」 その2

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さて、上掲は先にちょっと触れた「江東区芭蕉記念館」に展示の「芭蕉遺愛の石の蛙(伝)」で、左下の説明書きは以下の通りである。

「芭蕉が深川芭蕉庵において愛好していたと伝えられる石の蛙。小松石を彫ったもので、縦二十六㎝、横二十㎝、高さ六㎝の台座に、蛙の体長は二十一㎝。
芭蕉没後、深川芭蕉庵は、武家屋敷となり、その場所は明確ではない。大正六年(一九一七)九月の台風による高潮の後、この石の蛙が発見され、現在、芭蕉庵稲荷のある場所が芭蕉庵の旧跡として、大正十年(一九二一)東京都から史跡の指定をうけた。」

説明のように、石のカエルの体長は21センチメートルとかなり大きい。
また小松石とは、真鶴産の安山岩で高級石材という。
しかし、つくられた形はどうみてもガマ、つまり大型のヒキガエルである。

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両生綱無尾目類のなかで、ヒキガエルはジャンプしない特異なカエルとは前にも述べた通りである。
すなわちそれは池には飛び込まない。
ガマとよばれる大型のヒキガエルは、飛び込んだ後の静寂を示す句にふさわしいものではない。
このようなグロテスクな「ガマの置物」を、芭蕉が座右に置いて愛玩するとは想像し難い。
また下の写真のように、この「置物」は、よく見ると左右の後ろ足の付け根の部分に長い罅(ひび)が入っているのである。

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こうした罅は、通常は部分接合の下手な焼物ないしは混凝土細工に見られるものである。
高級石材の細工物に、このような罅が生じるであろうか。
「大正六年の津波」(往時は「高潮」も「津波」と言っていた)で出現という伝来も胡散臭ければ、蝦蟇(ヒキガエル)の置物であることも句に相応しくはなく、ましてこの罅である。
前回紹介した江戸切絵図は「本」ものであるが、「芭蕉遺愛の石の蛙(伝)」は何かを証明する「本」(もと)とは言えず、逆に眉唾の資格十分はそもそも「(伝)」という言い訳めいた添字が保証していたのである。

ちなみに、水がもたらす「ご本尊」は奈良時代以前から知られていて、浅草寺の観音様は浅草が河口付近であった当時、漁師の網にかかったものと伝えられる。
中央区銀座3丁目松屋通りのビル屋上に鎮座する「朝日稲荷神社」の例は、江東区常盤1丁目の「芭蕉稲荷神社」と同じ高潮による出現物であった。
ビル1階の拝殿前の「朝日稲荷神社御縁起」には「大正六年銀座を襲った大海嘯によって三十間堀より霊体が顕れ」と記す。
三十間堀跡の地上の拝殿と金属パイプでつながる朝日稲荷の屋上本殿は、新海誠のアニメ『天気の子』(2019年)に登場して一躍「聖地」となったのは目出度いかぎりである。
さて同じ高潮は、芭蕉のカエルをももたらしてくれたのであったろうか。

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