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「地図文学傑作選」 その17

この7月20日で夏期講座が終わった途端に発熱、数日寝込んでしまった。
そのことはいずれ触れるとして、ここで急に再開するのは「その16」で中途にしていたスティヴンスン『宝島』の地図話ではない。
それは措いて、横になっている間に読んだものの光の幾筋かをとどめておきたいからである。

前回のブログ7月10日の「モオゾレエ」では、建築史家の鈴木博之(1945‐2014)が自著(『日本の〈地霊〉』1999)において国会議事堂の意匠が「メメント・モリ(死を思え)」であると推理したことを述べたが、われわれの世代がこの言葉を意識するようになったのはむしろ藤原新也(1944‐)の写真エッセイ集『メメント・モリ』(1983)であったと思われる。
その写真とそのキャプション「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」が、当時のわれわれに与えた衝撃は大きかった。
だからほぼ同世代、1年ほど年少の鈴木が自著においてこの語を使ったとき、同語異相ではあるものの鈴木の念頭に藤原の著作タイトルの影が差したと推測しても間違いとは言えないであろう。

生に貴賤がないと同然、死神は貧富尊卑に関わりなく平等にヒトを刈り取る。
家族葬も社葬も国葬も、焼けば出るのは煙と骨灰だけである。
話が骨灰にまで飛んでしまったが、言いたいことは死神の話ではなく、もちろん「地図」である。
それも「猫地図」についてである。

数ある藤原の著作のうち、『丸亀日記』(1988)は新聞連載をまとめた文字だけのエッセイ集である。
「丸亀」とは戯作めかして執筆者自身を爬虫類の一種に擬しただけで、讃岐うどんを食べに四国に旅行したという話ではない。
新聞連載をもとに47項の短文が並ぶ。
そのうちもっとも長文(というより会話文が多くスペースを食っている)で味読に堪え、また忘れられない(法政大の田中優子も同様の感想をどこかで書いていた)のは、頭から5番目の「まぶたの猫」である。

老委託駅員ひとりが改札を預かる盛夏の内房線の竹岡駅で、「丸亀」は鈍行が去った向かい側のホームに2人の乗客と1匹の猫の姿を認める。
それが跨線橋の階段を上り下りした挙句、ベンチで上り列車を待っている自分の前を通り過ぎ、改札を出てゆくのだが、猫は駅前広場を横断し草むらに隠れてしまう。
猫が下りの列車に乗ってやってきて、ひとりどこかへ消えたのである。

晩秋になって「丸亀」は再び竹岡駅に降り立ち、件の委託駅員と話して判明したのは、かの猫が竹岡駅を根城に1駅(上総湊)どころか2駅(佐貫町)3駅(大貫)も先まで電車で行き来していた事実であった。
それは竹岡から通う人々、とりわけ女子高校生たちによって目撃されており、猫が内房線を上り下りしていたのは間違いないという。
駅員の推測は、「女子高生には人気があった。よく菓子なんかやっておりましたからね。それである日通学のときについて行ったんと違いますかねエ。そんなことを何度かくりかえすうちに、一人で勝手に往復するようになった。………」というのである。
そうして、その猫は竹岡駅にはもう戻ってこないという。

一般の猫の行動範囲、つまりテリトリー地図については、今泉吉典・今泉吉晴『ネコの世界』(1975年初版)のpp.72-73に「ネコの生活圏」というカラー図版があってわかりやすい。それは「ハイムテリトリー」を中心に、それをとりまく「ハンティングテリトリー」の2重・3重の円圏であって、野生のオオヤマネコのハンティングエリアの場合は直径80キロメートルにもおよぶ広大なものであるという。
つまり野生のオオヤマネコは、直径80キロメートルの認知地図を脳の中に刻み込んでいると考えられる。
したがってその方法を一旦憶えてしまえば、電車で2、3駅先まで行き来することは、ネコにとって難しい技(わざ)ではないはずだ。
そうしてその場合、ネコの脳内には電車を利用するルートがしっかりと組み込まれていると考えるほかない。

さてしかし、「まぶたの猫」の冒頭2行目には「いつだったか、日本海側で行方不明になっていた猫が本州を横断して飼い主宅に戻って来たという話が伝わった」とある。
こうなると話の次元が異なってくる。
村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』(2020年)というイラスト付小品の冒頭のエピソードは、父親と自転車でネコを棄てに行って帰ってきたら、当の猫が玄関先で出迎えたという、著者お得意のミステリアスめかした書きぶりだが、実話とすれば(父親の思い出なのだから実話なのだろう)これまた「電車猫」の次元とは別の話である。
猫にかぎらず、生きものの空間認知能力すなわち脳内地図は、ヒトがぼんやり思っているほど単純ではなく、往々にして人の平均能力を超える面があるとみられる。

以前、ロンドンのタクシー運転手と伝書鳩の「海馬」の大きさについて触れたが、ヒトがメディアとして地図をもって以降、促されたのは生物としての脳力の退化ではなかったのか、というこれまた次元の異なる疑問が頭をもたげるのである。
S・ミズンによれば、ヒトの歴史において心の構造と機能が最大限の発達を示したのは狩猟採集時代の後期であるという(『心の先史時代』1998年)。農耕はヒトの自己家畜化を強制し、都市化はその退行進化を加速した。
「スマホNAVI」がヒトの生物的空間能力をどれほど損なうものか、結果が明らかになるのはそう遠くない時期であろう。

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