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「地図文学傑作選」 その12

平田俊子の代表作のひとつ『(お)もろい夫婦』(1993年)には「荻窪風土記」という1節がある。
aとbの2パーツで、aはクモやコキブリ、ネズミにマムシ等々からミミズに至る「ムシ類」、bは胞子で殖えるヒトヨタケつまり「菌類」がはびこる。
もちろん井伏鱒二の同名の作品のパロディというよりは裏オマージュで、内容はいささかも「地図」にかかわるものではない。

本家『荻窪風土記』の方はもちろん回想地誌の名品で地図文学の資格十分だが、それ以上にこの作品の冒頭「荻窪八丁通り」には瞠目すべき記述をもつ。
関東大震災前までは、品川の岸壁を出る汽船の汽笛と、府中の「大明神」(大國魂神社)の大太鼓の音が、荻窪まで聞こえていたというのである。そうして震災後もしばらくの間は、(西新宿の)鳴子坂あたりまでは、汽笛の音は届いていたという。
これは東「音の地図」の断片が、文字に記録された例のひとつで、まことに貴重である。
なお、鳴子坂は青梅街道が神田川を渡る西向きの傾斜部で、対応する東向き斜面は中野坂上に至る中野坂である。鳴子坂はかつて荻窪から都心の市場まで野菜を積んだ大八車を曳いて行くときの最大の難所であった。
風の向きにも依るだろうが、汽笛は基本的に品川から同心円状に伝播し、弱まっていっただろう。その逆に、未明の郊外地から荷車は京橋などの「ヤッチャ場」を目指した。こうした音あるいは動きの「地図」は、東京にかぎらず地方都市にもおしなべて存在したはずで、調べをつくせば1920年前後の東京市の音の地図もつくれる可能性なしとは言えないのである。
冒頭の章は文庫本にして約30ページだが、地図の本質のひとつの「記憶」すなわち「過去」にかかる名作であり、余裕があれば抄録したい。

タイトルから男性作家の作に戻ってしまったが、女性作家の場所にまつわる作品として、最後に柳美里の『JR上野駅公園口』を挙げておきたい。
文庫本まるまる1冊の分量でとてもこの選集には入らないが、翻訳部門で2020年のNational Book Awards(全米図書賞)を受賞した記念碑的な意味をもつ。『JR品川駅高輪口』『JR高田馬場駅戸山口』と「山手線シリーズ」の1冊なのだが、いずれも著者自身の回想ではなく創作である。
この作品では綿密な取材をもとに、「場所」に託しホームレスとして死んだひとりの男の一生を描ききった。同年春、公園口は改修されて往時の様相は一変したが、在日作家の日本語作品が世界的な問題意識において評価されたことを嘉したい。

さて、本「地図文学傑作選」も分量のオーバーを気にしなければならない段階に立ち至った。そろそろ手仕舞いしないといけないのだが、そう思ってふりかえると、「選集」の出だしが気にかかる。すなわちいかに地図の本質が「権力性」にあるとしても、『十九歳の地図』のむきだしの暴力性は「地図ファン」の神経にいささか差しさわりをもつ面があるかもしれない。
そこで当アンソロジーの冒頭には地図のもうひとつの属性である、プランニング・メディアの側面に焦点をあてた作品を据えておこう。

タイトルはずばり「夢みる力」で、地図帳と列車時刻表があれば想像力の翼を存分に働かせることができる、という辻邦夫の作品である。
「もし私が運命の神の悪戯でかりに独房に入れられるようなことになったら」という前置きが少し不穏だが、主題は権力的暴力ではなく夢想の愉悦である。
丸谷才一と辻が企画した「楽しみと冒険」という叢書の第1冊目『地図を夢みる』(辻編、1979年)の冒頭に掲げられた11ページは、リルケの詩の引用で終わっていて、地図そのものというより「〈生きていること〉の不可思議」を触発する「場所」あるいはそこにあるモノを想像することが称揚されている。
図像学研究家にして地図にも造詣が深い杉浦康平が言うとおり「地図は決して“探検済み”のものではなくて、これから“探検を始める”という場所の顕現」(『is』Vol.8, 1980)である。つまり地図とは過去であり、かつ現在から未来にわたるものなのである。

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