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昭和の日

今日は休日だった。
人に聞いて知った。
「昭和の日」というのだそうだ。

「昭和」という語感に高度経済成長期前の懐かしさを感じるとすれば、それは自分も含めてお人好しだからである。
歴史に確認できるなかで、「昭和」という元号の一時期ほど酸鼻を極めた時期はなかった。
15年間に「日本人」だけで300万人以上が、戦争のため死に追いやられた。
列島史上最大の死者数である。
さらに言えばいまロシアがそうしているように、理屈をつけて「侵攻」した先の戦死、病死、餓死者の合計数は桁ちがいに大きい。
奈良時代から江戸時代までの間なら、「昭和」は敗戦をもってただちに「改元」されていたはずである。

前の世代が「進め一億火の玉だ」(大政翼賛会・軍歌)と踊らされ、死を覚悟し、暴力と飢えにさらされ、またさらしたのは、実に「昭和」だった。
神に擬し、敗けた途端人間に鞍替えしたその最高責任者の誕生日を、みどりの日とごまかして休日とし、挙句の果てが「昭和の日」である。
我々はよほどのお人好しか破廉恥者である。
この日目出度く「国旗」を掲げるとすれば、それは無知と無恥の掲揚である。

そうして今日は、外出を阻むほどの強い雨が降り続いた。
実に「自然は水際立ってゐる」(髙村光太郎)のである。

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