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「地図文学傑作選」 その6

地図にかかわる文章のアンソロジーとしては、今なお図書館の棚に見ることができる「日本の名随筆」シリーズの別巻46『地図』(1994年)が想起される。2017年に91歳で亡くなった物理学者堀淳一氏の編である。
27の作品を収めているが、そのなかで「文学」に関わる作品は多くはなく、永井荷風の『日和下駄』から第四「地図」、太宰治「地図」、塚本邦雄「悪意のフィヨルド/珍説不知火航路」、種村季弘「未知の土地(テラ・インコグニタ)を求めて 「ファンタジイ・マップ」より」、谷川俊太郎「道順の話」の5編。他は地理学者や物理学者などのエッセイである。

5編中「地図文学傑作集」候補にまず上げられるのは永井荷風の「地図」と太宰治の「地図」かも知れないが、前者は近代測量地図と開かれた新景観を呪詛し、切絵図と江戸の名残りを懐かしむいわば「憂さ晴らし文」で、江戸切絵図の本質に迫る考察を望むべくもない。後者も島嶼(琉球)の王の征服事績と異国人のもたらした地図を「衝突」させた思い付きがすべてで、「地図文学傑作」にはほど遠い。
むしろ「未知の土地を求めて」は8ページのエッセイだが、「地図の魅力」の根源を「まだない場所の想像力による現前化」であると喝破し、「サドの食人国」から「コメニウスの世界迷宮」まで文学作品や絵画、挿絵、20点以上の名を挙げ、地図の歴史にも説き至って飽きさせない。「地図文学」の案内としても収録資格十分と言えよう。
しかし「地図文学傑作選」にこうしてエッセイを含めるとすると、「地図の神話と歴史」(大室幹雄、1980年)を外すわけにはいかなくなる。3段組み、図も含めて14ページの見出し「道具としての地図」「世界の見えかた」「馬王堆の地図を読む」「相対地図と絶対地図」でも分かるように、「地図文学」から種村エッセイよりもさらに「地図論」寄りである。しかしながら「未知の土地を求めて」以上に「地図文学」にアクセスするための重要な橋頭保であり、そのことは『十九歳の地図』を開析するに不可欠な「地図はなによりも権力への意思の表現なのだ」という至言が証明している。「未知の土地を求めて」はいまでも容易に図書館で読めるものだし、そうであればむしろ同著者の「地図の敵あるいはリベルタリアの地図」(1978年)か、もしくは巖谷國士の「架空の地図について」(同)か、さて。

アンソロジーに関連して思い出されるのは、町案内や商店会誌、散歩雑誌、そして地図業界関連誌の類は省くとして、それ以外の多少専門的(?)な雑誌では「企画に困った時の(古)地図特集」という申し送りがあったらしい。実際思い付くままに挙げてみても、『芸術生活』1973年1月、『太陽』1976年9月、『美術手帖』1980年11月、『みずゑ』1980年11月、『別冊サイエンス』1982年4月、『太陽』1982年5月、『旅別冊』1984年12月、『目の眼』1985年11月、『言語』1994年7月、『たて組ヨコ組』2001年No51、『母の友』2015年1月、『AERA』2017年2月20日、『山と渓谷』2019年9月、『ユリイカ』2020年6月等々、企画に困ったかどうかは別として雑誌の地図特集は結構組まれてきたようだ。また、雑誌か書籍か一瞬判断に迷うが、1978年に刊行された大判の『イメージの冒険 1 地図 ―不思議な夢の旅』は意欲的なシリーズの第一冊目で、グラフィックな編集が魅力であった。

ところで、小説でも、ミステリーやファンタジー、はたまたゲーム作品でも同じだが、すべてのストーリーは空間に展開するから、どのような作品もその舞台、言い換えればそれぞれの地図を持たざるを得ない。だから極端に言えば、すべての作品は「地図文学」と見なし得る。井上ひさし氏は作品を書き出す前にその物語の地図と年表を作成した、とは本人から直接聞いた話である。
しかし例えばカフカの長編『城』では固有の地名は登場せず、もちろん地図に言及されることもなく、描かれるのは城に近づくことのできない情況、すなわち従順で不気味な住民との延々としたやりとりである。そうでありながら主人公が城の主に呼ばれた測量士という設定は、存在の不能と逆説を直接に示して余りある。カフカの『城』は、「非地誌・非地図」文学の極に位置するのである。
しかし「日本文学」においてはこのような硬質な違和や疎隔を描く例は稀で、逆に歌枕に象徴されるように固有の地ないし地名にかかわる作品は、いまなお枚挙に暇ない。東アジアの列島弧においては、「地」と物語の親和度は相対的というより圧倒的に高い傾向をもつようだ。

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