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「地図文学傑作選」 その2

『十九歳の地図』につづく「地図文学傑作選」の収録候補作は、小説ではなく詩篇である。そのタイトル「地名論」。

大岡信による3ページ分40行ほどの作品だが、「傑作」であることは八木忠栄によって保証されている(『詩人漂流ノート』1986年)。

「御茶の水」を頭に、鵠沼、荻窪、奥入瀬、サッポロ、バルバライソ、トンブクトウー、ベニス、ヴェネーツィア、瀬田、東京と、一一の固有名詞が並ぶ。こうした地名列挙はとくに根拠なく、音韻の効果や意外性で選ばれてはいるものの、読めばそれらが脳内空間のそこここに明滅する。言葉だけで、位置おぼろげながら地図が浮上する。紙や液晶画面以前に、それは脳内に立ち上がるのである。

記憶の地図は過去の一定の学習の反映である。だから見覚え、聞き覚えのない地名はその位置を得ない。また位置の精度は地名の親疎つまり学習の精粗に左右される。例えば日本列島内は別にして、「ベニス」と「ベネーツィア」はイタリア半島ではあるがどちらが北か南かは不明だったり、「トンブクトウー」はアフリカの真ん中あたりか、「バルバライソ」は南半球のどこか、といった具合である。そうではあっても、精度は別として「地名論」は作者と読者の「脳内地図」を前提としているのである。

一定の学習が脳の海馬に地図を格納させ、言葉に対応して地図が引き出される(「脳内GPS」『日経サイエンス』2016年6月)。そのことはタクシー運転手の場合を考えれば容易に理解できる。この場合、地名は文字ではなく音声でやりとりされる。ちなみにロンドンのベテラン運転手は、経験の浅い運転手とくらべて脳の海馬の灰白質が多いという(『鳥! 驚異の知能』p.326, 2018年)。

「地名論」は、イメージの地図を引き出すため、地名をいわば場所の記号として用いているのだが、地図は必ずしも言葉である必要はない。言葉に組織されない、記号だけの地図もあり得るし、さほど遠くない昔、地図はもっぱら図形と記号だけで描かれていたのである。それはもちろん、言葉を固定する文字が存在しなかったためで、言葉(地名)がなかったわけではない。しかしヒトの歴史を遡れば、言葉そのものが未明の時代はさらに長かったはずである。その時の脳内地図はどのようにして形成され、また伝達されたであろうか。

ところで「東京」の一地点を発しておもに北半球をランダムにめぐりふたたびそこに回帰するこの詩の構造は、万人に等しくある自己の身体性に発する世界認知と物理的世界空間の間にある懸隔を表現している。

それは「奇体にも懐かしい名前をもった/すべての土地の精霊よ/時間の列柱となって/おれを包んでくれ」や「土地の名前はたぶん/光でできている」といった名フレーズとともに、この詩のもつ場所の身体性と普遍性、すなわち「傑作」である所以を保証しているだろう。

この作品における「地図」は、その1の例すなわち権力性を前提とした空間メディアのそれとは様相を異にしている。言葉によって喚起されるのは空間ではなくて場所すなわち「土地」であり、地図を見下ろした瞬間、地名の喚起力は身体を地表のその場所に包摂してしまう。

それは冒頭「水道管はうたえよ/御茶の水は流れて/鵠沼に溜り/荻窪に落ち/奥入瀬で輝け」と、末尾「東京は/いつも/曇り」に明らかなように、この詩の無意識を統べているのは対流圏で生成し、地表に降りそそぎ、地表と地下を流れ、陸と海と空を循環する「水」だからである。

One Response to “「地図文学傑作選」 その2”

  1. 岩内 省on 23 5月 2022 at 11:43:14

    ロシアのプーチン蛸がどのように展開されるか興味津々だったのが1か月以上一向に更新されず、健康問題によるのかと危惧していたところ、突如地図文学の斬新な論が展開され、ご健勝に安堵しながらもロシア論はどうなったかといささか不満でもあります。
    さて、今回「地図」の定義が提示されているのには考えさせられました。
    「紙ないし液晶板に描き出された地表画像」という通俗?説には別に液晶版に限定しなくとも、ニュース映画のスクリーンに写る重慶への皇軍の進撃図も東海の小島の磯の白砂に指で描く略図も地図だろうと突っ込みを入れたくなるのはともかく、「地表画像」という限定、つまりこの「地」は「地球」「大地」の「地」だから星座図はもちろん天気図も排除するということです。
    一方、貴定義では媒体を制限せず、対象も地球からも飛翔して相対論の「時空」まで拡大する画期的な規定で見事です。
    ただ、「地物ないし事象」ではせっかく対象を時空全体に拡大したのが「地」に接触したものに限定されてしまい、宇宙図はもちろん人体図も疎外されてしまいませんか。ここは「事物ないし事象」としたらどうでしょう。

    追記: 21日に半蔵門病院に行ったついでに神保町に途中下車してみてその変貌にびっくりしました。通説地図的には三省堂が消えており、貴地図論的には書泉グランデに人文書が消えていました。両説に共通する変化としては古書店がどんどん安食堂に侵食されている様子です。
    店頭で『中野重治と私たち』という小田切秀雄・佐多稲子たちが世話役で毎年開催していた講演会の記録集が300円で出ていたので買いました。これもびっくりです。裏表紙には「慶文堂にて、4600円」という元の所持者の書き込みがありました。念のためアマゾンを見ると、なんと116円! B5の上製本が、です。
    ところで、佐多稲子には『私の東京地図』という作品がありますが、これはダメですか。文学と言えばほとんど日本の「プロレタリア文学」しか読んでいないので地図文学なんて斬新な視点は持ち合わせていませんので……。

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