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怪しい地図記号 その6

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上掲は陸地測量部の2万分1迅速測図「麹町」(1880年〈M13〉測量、1886年〈M19〉製版、1890年〈M23〉再版)の一部である。
図の上部中央「汐留町一丁目」の北に「停車場」とあるのはもちろん1872年10月14日(M5年9月12日)に開業した新橋停車場だが、「汐留町二丁目」には「馬車鉄道会社」が記入されている。
先にも述べたように、東京馬車鉄道会社が設立されたのは1880年でこの図の測量年と同年だが、設立認可は12月28日で当初の仮社屋は三十間堀三丁目におかれた。
鉄道局用地借用が許可され、東京馬車鉄道会社が本社を汐留に移転したのはその翌年。1883年(M16)に開業する日本鉄道上野停車場と既設の官営鉄道新橋停車場の間、家屋櫛比する銀座神田地区は専用軌道の土地買収に時間がかかることから、とりあえず街道路面を走る馬車鉄道によって連絡させたのであった(「都史紀要33」)。

迅速図における「鉄道」記号は太目の二条線で、図に見えるようにその間に細めの線を挟むのは「二軌」の路線である。130年間猖獗を極める「旗竿」以前の、まことにスマートな鉄道記号である。
これに対し同図の「馬車鉄道」記号は、以下の図のように一定間隔をおいて短い線分を並べたもの(一軌)と同様に二条線を並べたもの(二軌)の2種(『地図記号のうつりかわり』)。

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この線分記号らしきもの(馬車鉄道・一軌)が上掲図のどこに描かれているかというと、「源助町」「露月町」「柴井町」間の路上に見えるだけで、その南北は途絶えている。上図の範囲外となるが、この北側の京橋-日本橋間のいわゆる通町筋にも途切れながらこの線分はたしかに存在する。前述のように、新橋-日本橋間の馬車鉄道は1882年(M15)6月には開業しているのであるから、この線分は「芝口一丁目」から同三丁目にかけての路面上にも、当然ながら記入されていなければならない。それが見えないのは地図原版の摩耗ないし加筆損耗の結果か。
しかし日本橋区の南端部から京橋区エリアにかけては、それ以外の路面のところどころにもこの線分は描き込まれていて、それは上掲図左上の「烏森祠」と「和泉町」間の路面にも指摘できる。このディスオーダーはまことに怪しい。「参謀本部地図無謬神話」はもちろん神話にすぎないが、この乱調はいったい何に由来するのか。

One Response to “怪しい地図記号 その6”

  1. 銅キッチン蛇口on 16 6月 2021 at 12:27:35

    読んで面白い記事、ありがとう

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