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雛段と階段

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照葉樹林北限地に鎮座する陸奥一宮
鹽竈(塩釜)神社の202段石段

雛人形の段飾り1セット7段は「日本文化ヒエラルキー」の端的な発露だが、百段階段と称してその延伸を試みたり、逆にランダムな人形配置でそれを崩してみたりする例もあるようだ。

百段階段と言うと東京は目黒雅叙園のものが有名だが、実際にはその一部しか目にしたことはない。
建物内部に幾層も設けられた、木造階段である。

茨城県北西部、袋田の滝が有名な大子町(だいごまち)の百段階段は、一列の石段に赤毛氈を敷き雛飾りを並べる。

横浜市青葉区美しが丘のそれは雛飾りとは無縁で、「100段階段」と表記からして異なり、「美しが丘小学校下の「百段階段」とそれに続く遊歩道は、この地域のいちばん標高の低いところ (標高49㍍) から一番高いところ(標高83㍍)を包含し、”丘の町・美しが丘”を最短距離で体感できる場所」として名づけたようだ。

巷間「百段階段」と称する所は処々に存在し、拙著『江戸の崖 東京の崖』で紹介した板橋区赤塚四丁目の階段もその例。こちらは北に開けた河成の急斜面に設けられたもの。近年都内で増殖傾向にあるタヌキの出没地帯でもある。

講談「寛永三馬術」、曲垣平九郎で知られる愛宕山の上り坂は俗に「出世の石段」と言うが、こちらは100段に14段不足の86段。
寛永年間に石段が整備されていたか否か実は不明なのだが、海食崖の通例として傾斜は垂直に近く、勾配70%、傾斜角約35度もある。

同じ海食崖斜面でも、陸奥一宮鹽竈(塩釜)神社の表参道石段は、勾配46%、約25度。
しかしながらそれは202段の大階段で、斜辺距離87メートルは、愛宕山27メートルの3倍以上。
つまり比高は36.29メートルと、同15.4メートルの愛宕山の倍以上なのである。

こちらも石段がいつ設けられたのかは定かではないが、おそらく当初は直登坂でなく、いまもある裏参道や七曲り坂のような曲折した坂道が参道だったのだろう。
しかし敢えて塩竃湾入江の谷に向いた大崖に、表参道石段は設られけた。
陸奥国府多賀城政庁前に設けられた階段も緩傾斜なれども大階段で、いずれも蝦夷に対する最前線の祭政庁の前舞台装置。
人をして畏仰せしむる演出である。

雛段は、ミニ・クラシフィケーションのジェンダーデバイスといったところか。
人形一般に言えることだが、「嫁入り先」がみつからないと処分に困るシロモノである。

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