失敗は当然として、20年前の拙著で「言語表現の実験」の挙句「軽みのある定型に到達」、とは今回上野千鶴子さんからいただいた葉書の評言である。
『短詩計畫第二 天軆地圖』は平仮名書きとし、 5 7 5 を1篇とする表現が圧倒的に多い。つまり「俳句」が卓越する。
また前作では旧字や片仮名を原則としたため、今度の本とは印象がだいぶ異なるのである。だから「軽みのある定型」つまり俳句に「行った」と思われるのは致し方ないことかも知れない。しかし僭越ながらよく眺めていただければ、軽みとは対極の情念を将来する17音が1つや2つでないことはすぐわかるはずである。

これも今度の本を差し上げた結果いただいた黒田杏子さんからの郵送物だが、「句集拝受」とメモがあって、「藍生(あおい)俳句会」の会誌『藍生』と投句用紙が同封されていた。主宰される結社へのご招待に与かったわけで、恐縮の至りである。
しかし、この「第二」は句集ではなくあくまでも詩集で、ただし日本語の 5音と7音を主体とする、定型短詩の「実験」であるのは前著と変わりはない。

俳句であれ短歌であれ、それをプロパーとしてやっている自覚も、これからやるつもりも実はない。
世話役を担っている仲間内句会の行きがかり上、17音形が多くなってしまったが、わが表現の領域に俳句も短歌も川柳も、区別はない。
それらは日本語に拠る定型短詩のヴァリアントにすぎないからである。

48音節1篇の試みは、現在もときどき手掛けることがある。
出来はよくないが、「アブラナハーー」の幼時初恋の記憶に対となる、近時認めた結婚直後の回顧は以下のとおりである。

「愉しかりし露地奥小家跡は消ゆ

 古き直道(ひたみち)駅見えぬ梅雨

 新婚の線香花火二袋」

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