7月 22nd, 2020
定型短詩もしくはソネットについて ―その1
画像は2000年8月に刊行した『短詩計畫 身體地圖』の函のおもて面である。
深夜叢書社版で、社主の齋藤愼爾氏が過分の帯文を書いてくださった。
また氏の奨めにより、幾人かの方々にこの本をお送りした。
そのようなものをいただけるとは思ってもいなかったのだが、礼状というか感想というか、何人かの方々から葉書や手紙を頂戴した。
哲学者の木田元さんや社会学者の上野千鶴子さん、漫画家のみつはしちかこさん、そして先だって蛇笏賞を受賞された柿本多映さんなどであった。
木田さんの葉書には具体的にこの句がいいと書いてくださって、感激した。
しかししばらくして鬼籍に入られてしまい(2014年)、先般刊行した『短詩計畫第二 天軆地圖』をお目にかけることは叶わなかった。
上野千鶴子さんからは、今回も葉書をいただいた。
20年前の拙著を憶えていてくださって、あれは詩の「実験」とあった。
なるほどそうか、勝手な試みのつもりだったが、実験ととらえたほうが明晰だなと感心した。
この『短詩計畫 身軆地圖』では、すべてにわたって1ページに3聯から成る短詩1篇を掲げ、全110篇を収めた。たとえばp.120は次のごとくである。
「アブラナハ 黄ノ只中ニ 木橋(ハシ)アリキ
土手ノ小高キ 汝(ナ)ハ立チ待チキ
息ツメテ 木橋目指シケリ 六ツノ春」
ご覧のように、5 7 5 / 7 7 / 5 7 5 の3行、計48音節で構成される。
つまり31音の短歌1首と17音の俳句1句の組合せなのである。
「短詩計畫(第一)」は全体を通してこの「短歌+俳句」を通した。
この形式は、長歌(5 7 5 7 5 7 ・・・・5 7 7)に対して反歌(5 7 5)を添える形式にヒントを得、仮名はすべて片仮名としつつ、短歌にも俳句にも与せぬ方途を試みたつもりであった。別の言い方をすれば、古典である「長歌+31音反歌」形式に対して、「短歌+17音反歌」を1セットとする俳句でも短歌でもない、新しい日本語定型短詩の「実験」であった。
ちなみに上記の1篇は、今月8日の本欄「春暈」とほぼ同舞台であるが、同じ「木橋」とは言ってもこちらは170mほど離れ、用水のいわば本流(七郷堀)の高土手の間に設けられた、大きいほうの橋を指している。
さてこの「実験」が失敗、成功いずれに帰したかといえば、世上流通する俳句、短歌および現代詩の3潮流の狭間に零れ、どこからも一顧だにされなかった、つまり当然ながら失敗したとしか言いようがないのである。