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回帰線 その5

レヴィ=ストロースのこの本の第1部はLA FIN DES VOYAGES(旅の終わり)と名づけられ、その第1章のタイトルはDEPART(出発)、そうして最終部(第9部)がLE RETOUR(戻り)とされている。
この作品の全体がひとつのサイクル(回帰)を表しているのはその1で述べた通りである。

いまなぜレヴィ=ストロース、否『悲しき南回帰線』かと言えば、世界的なパンデミックのただ中にあって、ヒト(ホモサピエンス)の20万年にわたる歴史と、現在われわれひとりひとりの生きる姿あるいはその意味が、赤裸々に照り返されていると思うからである。

先にも触れたように、著者は1950年に短期間南アジア(現在のインド、パキスタン、バングラデシュ)を訪れた。
その経験と考察は上巻の後半の一部分、第4部LA TERRE ET LES HOMMES(大地と人間)の第14章 LA TAPIS VOLANT(空を飛ぶ絨毯)、第15章 FOULS(群衆)、第16章 MALCHES(市場)および下巻の末尾すなわち第9部LE RETOUR(回帰)の第39章 TAXILA(タクシラ)、第40章 VISITE AU KYONG(チョンを訪ねて)に反映されている。

この本に示された「新石器時代文化」を生きる絶滅直前のアマゾン地域先住者たちと、「熱帯の異常なかびの繁殖」(第39章)のごとき南アジアのヒトの群れの恐ろしいまでの「数」の対照は、今日さらに極限化しているといっていい。「新世界」についての考察は「旧世界」様相と対比され、新旧界が失われ時空が縮小した地表のヒト社会の未来が遠望される。
カラチで見た巡礼者用宿泊施設について作者は「捕虜収容所を除いては、人間がこれほどまで肉屋の肉と混同されたことは、かつてなかったことだ」(第14章)と記した。
繰り返すが、この作品が執筆されたのは1954年10月から翌年3月の間で、第二次世界大戦の終結から10年を経ていなかった。ユダヤ人家庭に生を受けた31歳の著者が、ブラジルでの調査の後ヴィシー政権のフランスを脱出してマルティニック諸島やプエルトリコを経由しニューヨークに着いたのは1941年のことであった。
この作品はどこにも、ナチスによる約600万人におよぶユダヤ人の計画的殺戮(ホロコースト)について記すところはない。しかし、自ら「根源的(ラディカル)な悲観論者(ペシミスト)」と称し(川田完訳本冒頭「二十二年のちに」の「対談」。ただし「対談」は「中公クラシックス」版では割愛されている)、その最終章に「世界は人間なくして始まった。そして人間なくして終わるだろう」という有名なaphorismをもつレヴィ=ストロースの人類史を望見するまなざしは、当然ながら明るいものではない。
以下は第14章の末尾の訳文対照である。冒頭は「カースト制度」についての言及で、訳文の一部については川田訳「人間による人間の価値剥奪」を至当とする。

「このインドの大失敗は一つの教訓を示している。あまりにも数が多くなると、その思索家たちの天才をもってしても、社会は隷属を分泌しながらしか永続できないと。人間が地理的、社会的、精神的空間に狭さを感じはじめると、簡単な解決策に誘惑される危険がある。それは人類の一部にその資格を拒むことである。それで数十年間は、それ以外の者たちは自由に振舞えるだろう。するとまた新たな放逐にとりかかる必要が生れよう。こうした見解からすれば、この二十年来ヨーロッパが舞台となったさまざまな事件は、人口が二倍になった一世紀間を縮尺しているのであって、一民族、一学説、あるいは人間の一集団の錯誤の結果とは、わたしにはもはや思われない。南アジアがわれわれより一千年あるいは二千年前に経験した、そして繰り返し一大決意をもって当らなければ、おそらくはわれわれも乗り越えることはできないであろう終末の世界の方への進展の前触れを、わたしはむしろそこに見るのである。なぜなら、人間によるあの人間の組織的な価値の切り下げが蔓延しているときに、一時の汚染という申し開きによって問題を遠ざけることは、あまりにも偽善であり、あまりにも無自覚でもあろうからである。
 アジアでわたしを震撼させたものは、アジアによって先に見てしまった、われわれの未来のイメージだったのである。インディアンのアメリカとでは、わたしは、空間がその世界の調子と同じ速さであった時代の、そして自由の行使とその特色との間の十全の関係が続いていた時代の、そこでは束の間ではあったが、その反映をこの上なく愛する者である。」
(室訳)

「インドのこの大失敗は一つの教訓をもたらす。つまり、あまりに多くの人口を抱え過ぎたことによって、その思想家たちの天才にもかかわらず、一つの社会が隷従というものを分泌しながらでなければ存続できなくなったのである。人間が彼らの地理的・社会的・知的空間の中で窮屈に感じ始めたとき、一つの単純な解決策が人間を誘惑する怖れがある。その解決策は、人間という種の一部に人間性を認めないということに存している。何十年かのあいだは、それ以外の者たちは好き勝手に振舞えるだろう。それからまた、新しい追放に取り掛らなければなるまい。こうした展望のもとでは、ヨーロッパが二十年来[1935-55]、その舞台になって来た一連の出来事--それはヨーロの人口が二倍になった過去一世紀を要約している--は、私にはもはや一民族、一政策、一集団の錯誤の結果とは思えないのである。私はそこに、むしろ終末世界へ向う一つの進化の予兆を見る。その進化は、南アジアが一千年か二千年、われわれより早く経験したものであり、われわれも余程の決意をしない限り、恐らくそこから逃れられないだろうと思われるものである。なぜなら、この人間による人間の価値剥奪は蔓延しつつあるからだ。それに感染する危険は一時的なものに過ぎないといって問題を遠ざけることは、あまりに偽善的で無自覚なことと言わなければならないであろう。
 アジアで私を怖れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。インディオのアメリカでは、私は、人間という種がその世界に対してまだ節度を保っており、自由を行使することと自由を表す標(しるし)とのあいだに適切な関係が存在していた一時代の残照、インディオのアメリカにおいてすら果敢ない残照を、慈むのである。」
(川田訳)

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