5月 12th, 2020
回帰線 その2
新型コロナウィルス感染症パンデミック巣籠り直前、まだ青春をひきずっていた時代に読んで「ナムビクワラ族」という名前を印象深く記憶していた『悲しき南回帰線』(室訳)の文庫本上下2冊を古書店で見つけ、買いもとめた。
この機会に、頭からじっくり読んでみた。往時も「ひどい訳だ」とは思ったが、今回はデジタル翻訳のほうがまだましではないか、という感想が付け加わった。
しかしながら、おそらくかつてと同じ個所で、感動はまたあらたに湧き上がったのである。そしてまた、今回は別の個所でも。
いずれにしても、この作品は20世紀世界思想の到達点であると同時に、21世紀思考の出発点に位置する書物であると思われた。
以下重要と思われる箇所をいくつか挙げてみる。
「人間は死者の執拗さや、彼方の世界の悪意や、魔術の苦しみから自由になるために、三度の大きな宗教的な試みを行った。およそ五百年の間隔をおいて、人間は相次いで仏教、キリスト教、回教を思いついた。そしてその各段階が先のものからの進展であるどころか、後退であったことは心打たれるものがある。仏教には彼方の世界がない。すべて根本的な批判に帰着するが、人類は批判が永久に可能であることを示すはずがないので、批判の窮極において、仏教は物と存在の意味との拒否として悟るのである。それは宇宙をないものとする教理であり、宗教として教理そのものもなくなるのである。再び恐怖に負けたキリスト教は彼方の世界と、それへの希望と脅威とを、そして最後の審判を復活させた。回教には俗界と精神界をつなぐことしか残っていない。そしてまとめられる。社会秩序は超自然の秩序の栄光で装われ、政治は神学になる。結局、精神と、迷信も生命を吹き込むことのできなかった亡霊とは、すでにあまりにも現実的な祭司たちにとって代られ、彼らはこの下界の圧しひしぐ重みに、さらに天界の重みを加えて、天国の一手販売を許される。
この例は常に源流に遡ろうとする民族学者の野心を正当化するものである。人間は発端においてしか、真に偉大なものを創造しない。いかなる領域においても、最初の踏み出しだけが全体的な価値をもつのである。(略)」
(室訳。第九部「回帰」、40「チョンを訪ねて」、下巻pp.352-353)
最終章第40のタイトル「チョンを訪ねて」の「チョン」とは、本文に「一九五〇年九月、わたしはチッタゴン管区のビルマ族の部落にいた」とあり、仏教系の村落であったと考えられる。
巻末のストロース年譜に「一九五〇年 昭和二十五年 四十二歳 東パキスタンのチッタゴンに短期間滞在」と書いているが、東パキスタンは1971年バングラデシュとして独立した。しかしバングラデシュはそもそもイスラム教国として1947年にインドから分離した(東パキスタン)のだった。
その一地方チッタゴンの先住民族ジュマやビルマ系つまり仏教系の住民が、独立後の「チッタゴン丘陵地帯紛争」と呼ばれた戦乱どのようにかいくぐったのか、そもそも「チョン」の村がいまなお存在しているかどうか、わからないのだが。
さて、同部分の川田訳は以下の通りである。
「死者に嘖まれること、あの世での邪悪な処遇、そして呪術の責め苦――それらのものから解放されようとして、人間は三つの大きな宗教的試みをした。およそ五百年の間隔で隔てられて、人間は仏教、キリスト教、それからイスラム教を次々に考案した。そして、各々の段階が、前者との関係で進歩を記すどころか、むしろ後退を示しているのは驚くべきことだ。仏教には来世はない。そこでは、すべては一つの根源的な批判に還元される。人間は、その批判の力が自分に具わっていると主張することがもう永久にできないとされているので、批判の果てに、聖賢が事物と人間の意味の拒否へと道を拓いてくれる。それは宇宙を無と観じ、自らをもまた宗教として否定する一つの修練である。再び恐怖に屈したキリスト教は、来世を、その希望、脅威、最後の審判を作り直した。イスラムには、現世を来世に繋ぎ合せる道しか残されなかった。現世と精神界とは、ひと纏めにされることになった。社会秩序は超自然の秩序の威光で身を飾り、政治は神学になった。結局のところ人は、迷信も生命を与えることができなかった精霊や幽霊を、すでに現実的すぎるほど現実的な師たちで置き換えたのである。その上、この師たちに人は来世の専売権を認め、その結果、すでに圧倒的なこの世の重みに、さらに来世の重みをも付け加えたのである。
この例は、根源に遡ることを常とする民族学者の野望を正当化する。人間は、初めにしか本当に偉大なものは創造しなかった。それがどんな領域であれ、最初の遣り方だけが全き意味において有効なのだ。(略)」
(川田訳『悲しき熱帯 下』1977。第九部「回帰」、40「チャウンを訪ねて」、pp.347-348)