なにがそれほど強く父を動かし、他に誰もしないような行動をとらせたのか、父に訊ねました。
「お前と同じだよ」という答えでした。
なにを指して同じというのかわかりませんでした。「どういうこと? このことで、これっぽちも話したことないし、なにも知らなかったんだ」
すると父がこう言ったのです。
「かなり以前のことだ。ある日、おまえが一冊の本を手に、泣きながら帰宅したときのことを憶えている。広島についての本だった。「お父さん、この本を読んだんだ。こんなひどいこと、はじめて知ったよ」と言っていた」
ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』〔邦訳は法政大学出版局刊〕に違いありません(書籍として発刊されてすぐに読みました。1946年8月に雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたとき、私は入院中でした)。ただ、父に渡したことは憶えていませんでした。(ダニエル・エルズバーグ『国家機密と良心 私はなぜペンタゴン情報を暴露したか』p.82、2019年4月)

ダニエル・エルズバーグが如何なる人物か、そしてその父親との会話の顛末をここで紹介しようとは思わない。
それは調べようとすれば、誰でもわかる事柄である。
しかしいまの日本の目を覆うような「政治」に浸かるわれわれにとって、彼の行動がもっとも参照されるべきであることは確かである。
そうして現代世界に生きる人間、とりわけ東アジアは極東の日本列島に住む者すべての必読の「古典」が、J・ハーシーのこの著述であることも確かなのである。

‘EVERYONE ABLE TO READ SHOULD READ IT’(およそ文字読めるほどの者、皆これを読むべし)
このことに気付いていれば、大学生を前にしていたときに、その一片でも紹介し、また部分的にでも原文で読ませるべきであったと悔やんでいる。

それは網野善彦が『「日本」とは何か(日本の歴史00)』の冒頭、第一章「「日本論」の現在」で述べたように、われわれは「人類が自らを滅しうる」核の時代のただ中を生きており、この決定的な時代条件を無視ないし軽視した如何なる言説も無意味だからであり、J・ハーシーのこの本は空前にして絶後ではなかったその阿鼻無間と生き残った人間の姿を記録したからである。

今日この本が日本の出版界において文庫化されていない状況を惜しむのは、私だけではないだろう。

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