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『武蔵野』の古地図 その7

この3版を比較してみよう。
まずは刊記から、以下文政8年版(A)と同13年版(B)を並べてみる。
A-1
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B-1
cch1.jpg

文政13年版の刊記はもちろん版を彫り改めてはいるが、内容としては変化なく、改版年記を加えただけである。

これらと本項その3で示した弘化4年図(C)の刊記をくらべると、例言の内容に変化はないものの、刊年改記だけでなく、刊記末尾の記載が「東都 仲田之善著」の著作者名から「東都 馬喰町二丁目 菊屋幸三郎」と、おそらくは版元名に転じているのがわかる。
しかし本稿で重要なのは刊記ではなく、独歩が注目・記憶していた地図への書き込み部分である。
A-2
ct2jpg.jpg
B-2
ct1.jpg

上が文政8年図、下が同13年図のものである。
刊記同様、彫版を改めてはいるものの記載内容に変化はない。
しかしその3で示した弘化4年図(C)の場合、文はそのままで表記を大きく変えている。
いわゆる片仮名から平仮名へ、そして今言う変体仮名を用いているのである。

独歩が記憶あるいはメモしていたもう一箇所についてはどうだろうか。
A-3
ct2.jpg
B-3
ct1_edited-1.jpg

この場合も弘化4年図(C)は仮名表記を変えてはいるが、3版とも文の内容に変化はない。

結論として言えるのは、独歩が見た文政年間の地図が初版図であったか改版図であったかはわからないが、初版、改版の文政年刊地図の内容に変化はほとんど見られないから、それが「東都近郊図」であったという事実だけは間違いない、ということである。
『武蔵野をよむ』の著者の場合、図名の見当はついていたものの版の特定ができないために「さだかではない」と資料名をわざとスルーしたというケースも、もちろん考えられる。
しかし「(文政年間に)刊行された地図のいずれかであるが、さだかには確認されていない」という書き方は、地図調査自体を「スルー」したとしか読めない。

さてしかし、古地図ないし地図における「武蔵野」の問題は、実はここからはじまるのである。

国木田独歩は「武蔵野」という言葉が指示するものごとを、つきつめては考えなかった節がある。否、むしろ後述のように、地理的あるいは地図的にも、独歩の「武蔵野」は恣意的でひとりよがりである。はっきり言ってしまえば、彼の「武蔵野」は妄想なのである。
妄想が不適切ならば、虚構と言い換えてもよい。
そうしてその虚構は、また位相を変えて現代に受け継がれ、われわれは虚構に拘束されていると言っていい。

One Response to “『武蔵野』の古地図 その7”

  1. u6x

    fnullyCVlbJo http://collegio.jp/8499744Tny

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