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『武蔵野』の古地図 その4

ところで、独歩の『武蔵野』の冒頭の鍵括弧引用は以下のようにさらにつづくのであった。

そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。

これに該当する地図の書き込みは以下の通りである。

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読み下し「小手指原久米川は古戦場なり。太平記、元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦ふ事一日が内に三十余度、日暮れば平家三里退て久米川に陣を取る、明れば源氏久米川の陣へ押寄せる、と載たるは此あたりなるべし」。

これまた原文と独歩の引用は細部異なるが、独歩が見、メモまでしていたのであろう地図はこの図の異版すなわち文政年刊図とは、誰しも推量するのが自然である。
なお、ここで源平の戦いになぞらえられているのは、北条氏が平家に連なり、新田氏が源氏の裔であるためで、そもそもは北条氏の監視下におかれていた源氏の遺児頼朝と、北条政子の「若さ」に端を発していたのである。

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