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『武蔵野』の古地図 その1

いわゆる古地図は、日本列島においては「江戸図」を第一とする。
それは、遺存例が多く、種類も多岐にわたり、需要すなわち現市場も大きいためである。
またそれは時間と空間の双方に渉る。
つまり江戸時代と江戸府内である。
ただしここで留意すべきは、それぞれに欠落部が存在することである。
前者においては江戸時代初期の図はほとんど残らず、後者においてはおおむね現山手線内側以外の江戸図は稀にして粗である。

現日本列島の首都「東京」は、江戸の遺産のうえに成り立つとは言え、地域空間としてそれを直接引き継ぐエリアは都心部のみであり、したがってたとえば「武蔵野の古地図」などというものはきわめてかぎられた例しか存在しないのである。

「参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附けた折本になっているのを引張り出した。」

「「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある。」

近代日本語の文学作品の冒頭で「地図」が登場する著名なものに2例あって、上掲のうち前者は1900年(明治33)発表の『高野聖』(泉鏡花)、そうして後者はその2年前に発表された国木田独歩の『武蔵野』(当初のタイトルは「今の武蔵野」)である。

鏡花の「参謀本部編纂の地図」がどのような種類のものであったか、その図名は何であったかについてはかつて調べて書いた(「峠と分水嶺」『地図中心』2012年6月)から繰り返さない。

独歩が見た地図は、上述のようにかぎられた例しかなく、特定が比較的容易であり、筆者もかつて企画編集した書籍に掲載した(山下和正『地図で読む江戸時代』1998年」)こともあったし、鏡花の地図とは対照的に、もの書きなどの間ではいわば常識の部類に属するものと思っていた。
独歩の見た古地図については、かつて複数の新聞報道がなされ、雑誌掲載記事もあり、上記も含めてすくなくとも3種の書籍に掲載紹介され、それと謳った復刻版さえ発行されているからである。

しかしその思い込みは外れていた。
最近、タイトルに「武蔵野」を掲げ、国木田独歩の「エクリチュール」をさぐった本(赤坂憲雄『武蔵野をよむ』2018年)のページをめくっていたら、その本文2ページ目には「文政年間といえば、一八一八年から三〇年までの、「武蔵野」からは七、八十年をさかのぼる時代である。この時期に刊行された地図のいずれかであるが、さだかには確認されていない。」と書いていたのである。

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この「さだかには」という書き方は曲者である。
それは、当該地図特定の不確かさを匂わせながら、実はおのれの調査怠慢を韜晦しているにすぎないからである。

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