9月 12th, 2007
古地図巡礼 map pilgrimage
蟇池(がまいけ)現・港区元麻布二丁目10番
今回は麻布の蝦蟇(がま)の話。その棲みかは、東京にもそういくつとあるわけではない大きな池でしたが、現在はかなり縮小し、かつマンションの内庭に取りこまれてしまって一見することも難しい「文化財」。けれども元来れっきとした「麻布七不思議」のひとつに数えられ、かつては人ぞ知る「蝦蟇池」(「蟇池」「蝦池」とも書く)でした。伝説では、武家某の庭の池主の蝦蟇が人に悪さをなし、そのつぐないとして火事の危急に主家を救ったと。便乗して霊験のお札も売られていて結構なことになっていたようです。
民俗学者の故宮田登氏によると、「七不思議」にみられる3つの類型のうちの第1が水辺の現象で、それらは都市膨張過程で呑み込まれたかつての地形的結節点(聖地)の平俗化された「記憶」なのだと。そのかみ人をして神秘を感ぜしめ、あるいは畏怖させた地形や自然環境が、人俗に服せしめられていく。だから「七不思議」はちょっと怖いようで滑稽感漂う話となるのですね。
明治初期の大縮尺地形図でこの蟇池の水が流れ下る細い流路をたどってみると、麻布十番通りの「谷」に合流し、その谷の流れは結局「一之橋」近辺で古川(渋谷川下流の称)に注いでいました。谷を遡れば旧南日下窪(みなみひがくぼ)町。つまりあの六本木ヒルズ直下の谷地で、そこは「崖下話」でもある岡本かの子の短編『金魚撩乱』の舞台。地図にはたくさんの細かな四角、つまり金魚池が記載されていて、その一部は「ヒルズ」が出現前のごく最近まで残存し、白金台の自然教育園のカワセミはその金魚で子育てをしていました(『月刊Collegio』No23「中西悟堂を歩く」 9)。一方、『新修港区史』では(貝塚爽平執筆)、それらの谷が合流する古川の大曲折部、一之橋から古川橋一帯、麻布善福寺前から慶應大学西側の広い範囲には泥炭が埋もれていて、つまり往古は池沼であり、さらに一之橋から下流は海の入江であったと推定されているのでした。【『月刊Collegio』2007年8月号に併載】
日本地図センター発行「参謀本部陸軍部測量局 五千分一東京図測量原図」から、「東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍」図(明治16年10月)の一部
左下に「蟇池」。右は渋谷川の下流の「古川」で、図の範囲では南から北へ流れ、「ニ之橋」「一之橋」が架かる。一之橋の西が「麻布十番」。左上には旧毛利庭園の池(現在は六本木ヒルズとテレビ朝日の本社に挟まれている)。その下に「字藪下」の金魚池群がみえるが、それは結局「一之橋」付近で「古川」に注ぐその支流の谷とわかる。下辺中央には23区内で二番目に古い創建の麻布山善福寺とその子院群で下端は「仙台坂」。その左上は「暗闇坂」「一本松坂」「狸坂」などの坂が上りきる尾根。
はじめてコメントさせていただきます。
本日、拙ブログの「『川の地図辞典』(その2)-金魚池を探索する-」に、之潮の川好きonnaさんから、コメントをいただきました。現在、ある「物語」のもとになった情報をもとに、青山付近、というよりも渋谷川と代々木川の合流地点あたりで、金魚養殖が行われていなかったか探索しています。おそらくは、昭和期、それも高度経済成長期までの時代かと思っています。こちらのエントリーは、とても参考になりました。ありがとうございました。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/710.html