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浅草橋 その2

説明文の第3段落
「ここ神田川にはじめて橋がかけられたのは寛永十三年(一六三六)のことである」
は全くの誤りである。

その端的な証は、「最古の江戸図」として著名な「武州豊嶋郡江戸庄図」(下掲・国立国会図書館蔵・部分)にすでに記載がみえることである。
この図は寛永9年(1632)年の刊記をもつのである。
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右手に逆立ちして「あさくさ川」とあるのは隅田川で、支流の人工河川神田川に「あさくさはし」、さらに橋の延長に逆立ちした「あさくさ道」という文字が読み取れる。
左下、真中に筋のある細長い楕円は、日本橋馬喰町の起源にかかわる初音の馬場である。

「あさくさ道」という書き込みは重要である。
現在の「大伝馬本町通り」は浅草を経由する旧日光街道の一部として知られる。
常盤橋から浅草橋を通り浅草に向かうその道は、実は日光街道どころか江戸以前からの古奥州街道で、つまりは神田川が開削される以前から存在していた古道である。
したがってここに橋が架けられたとすれば、それは神田川開削とほぼ同時であったと考えるのが妥当である。
しかし神田川がこの場所でいつ開削されたか、確かな記録は何もない。

日本歴史地名大系13『東京都の地名』(2002)「浅草橋」の項が「架橋の年次は不明」としているのは正しい。
では、説明板の自信ありげな断言はいったい何を根拠とするのか?

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