「猿蟹合戦」の主人公はズワイガニでもタラバガニでもありません。海に近い森や里山に棲み、木にも多少なら上れる、アカテガニです。
アカテガニの呼吸法は少々変わっています。カニは一般に鰓呼吸をするけれど、アカテガニの場合は「鰓呼吸した水を口から吐き出し、腹部の脇を伝わせて空気に触れさせ、脚のつけ根から再び体内に取り入れ」ることで、陸上生活にもっとも適した種のひとつとなりました。
雑食性だから、おにぎりでも熟した柿の実でも食べる。古い家なら土間にも入って来たと言います。

昔話では、サルの投げた青柿で潰された母ガニの死体から仔ガニたちが這い出し、ハチや臼、牛糞などの味方を得てかたき討ちを遂げました。
現実のアカテガニのお母さんは、7月か8月の大潮の晩、つまり満月か新月の夜お腹にたくさんの卵を抱いて森から浜や磯に下り、潮に浸かって体を震わせ、孵化した幼生(ゾエア)を海に放ちます。

つまりアカテガニは、森と海がつながったエリアにしか生きることができないのです。しかし日本列島の海岸線はほぼすべてコンクリート護岸や自動車道路に変わってしまい、辛うじて残された森も海浜に直接続くところはめったにありません。実際、関東地方でアカテガニの棲息エリアとして知られるのは、神奈川県三浦市の小網代湾にのぞむ一帯と千葉県勝浦市の鵜原理想郷の2ヵ所くらいです。

三浦半島の南西端、小網代湾に注ぐ小河川浦の川の谷戸は、近年とくに生物多様性の観点から「小網代の森」として保存され、人の手で維持管理がはかられています。
いまの季節、少しひらけた湿地ではハンゲショウ群落の半分白い化粧姿が目を惹き、磯浜では小さなチゴガニのオスたちの盛んなウェービング(「ダンス」と言う人もいますが)が見ものでしょう。山裾の岩間に比較的大きなアカテガニが隠れているのを、見つけることができるかも知れません。この夏休みを利用して、出かけてみてはどうでしょう。

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小網代湾のアカテガニ

小網代湾につづく森つまり谷戸とその自然については、『「流域地図」の作り方』(ちくまプリマ―新書、岸由二著、2013)、『「奇跡の自然」の守りかた』(同、岸由二・柳瀬博一著、2016)が紹介しているので一読してみてください。最近ではNHKのEテレでも取り上げられたので、その映像も参考になるでしょう。
〈本で学ぶ〉から〈場所で学ぶ〉、そして〈場所に学ぶ〉それぞれのテーマと方法があります。生物多様性だけでなく、そのエリアの地形や地質、地名や歴史といった面についても、いろいろなメディアを通じて探ってみることも「図書館」の意義と存在性を深めることになるでしょう。

さて、この稀有な自然を体感しに出かけるには、京浜急行の久里浜線終点三崎口からバス(引橋下車)を利用するのが一番ですが、それには「みさきまぐろきっぷ」がおあつらえ向きです。京浜急行が発行している「おトクなきっぷ」のひとつで、品川からの往復の電車賃とバス代、食事代や観覧料などが含まれ大人1人3500円、ただし発売当日かぎり、自由席のみです。

注意すべきは、週末や連休の晴天の日は混雑するかも知れないこと、また万が一の地震や津波も想定に入れ、電車が不通となる事態も考えて、ある程度の準備をするほうが賢明だということです。もっとも後者については日本列島に住むかぎり、どこに出かけるにも必要な心掛けです。
ともあれ、猿蟹合戦の物語を育んだ自然環境、その風や音、そして匂いに触れておくことは、将来どのような職業に就くかにかかわらず必要なことだと思われます。どうぞ、この機会にお出かけください。

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