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一平に燈の入る頃やさゝめ雪

『疾走する俳句』(中村裕)、掲句を「昭和四〇年頃」の作、前置句「かん酒や深雪とならん深雪になれ」ありと記す。

渡邊白泉卒せしは1969年(昭和44)1月30日、誕1913(大正2)3月24日なれば、作は晩年齢(よはひ)五十代、市立沼津高等学校社会科教諭の折にて、「一平」当勤務先と寓居間に位置す居酒屋ならんか。

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沼津市立沼津高等学校・同中等部校舎と正門前の白泉句碑ならびに解説碑(写真左下)

谷崎潤一郎戦中戦後を書継ぎ『細雪』全巻上梓して戦後洛陽の紙価を弥増したるは1949年(昭和25)12月なり。然り乍ら「さゝめ雪」大阪は船場四姉妹、就中三女雪子の物語にあらず、降雪なり。

当節思ひもよらざるも、半世紀前東海愛鷹山南麓時には雪にまみれしと。然れども其節白泉宅沼津にあらず韮山(韮山町奈古谷城ヶ下)なり(栗林浩『俳人探訪』1997)。而して職場と寓居の間20キロメートルに満たず、バスにても一時間におよばぬ道のりなり。途次富士山麓伏流水湧出にて著名なる柿田川公園はあり。グーグルマップ柿田川公園約500メートル西、清水町長沢に焼鳥「一平」ありとす。それ往時の廛(みせ)の裔(すゑ)なるか、知らず。
1968年頃なる「ゼンリン住宅地図 沼津」閲するも、沼津駅南北飲食街エリアに「一平」廛摘出すること能はざるのみ。
【評林・白泉抄28】

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