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江戸の厓 東京の厓 その8

永井荷風は『日和下駄』のなかで、「崖」を「坂」の前に据えて一項を立て(第九 崖)、次のように述べています。

《崖は閑地や路地と同じようにわが日和下駄の散歩に尠からぬ興味を添えしめるものである。何故というに崖には野笹や芒に交って薊、藪枯(やぶから)しを始めありとあらゆる雑草の繁茂した間から場所によると清水が湧いたり、下水(したみず)が谷川のように潺々(せんせん)と音して流れたりしている処がある。また落掛るように斜(ななめ)に生(は)えた樹木の幹と枝と殊に根の形なぞに絵画的興趣を覚えさせることが多いからである。もし樹木も雑草も何も生えていないとすれば、東京市中の崖は切立った赤土の夕日を浴びる時なぞ宛然(えんぜん)堡塁(ほうるい)を望むが如き悲壮の観を示す。》

古来、ガケは文章というよりは絵画において好んで表現されてきたと思われますが、ここにあるのは近代の文章に独立してとどめられたガケ一般のイメージの典型です。
この後、荷風は次のように文をつづけます。

《上野から道灌山飛鳥山へかけての高地の側面は崖の中(うち)で最も偉大なものであろう。》

この「偉大な」ガケを確かめたいと思う向きは、JR山手線内か京浜東北線に乗って、上野から田端あるいは王子までの間、西側に走るガケ並に目を凝らすか、もしくは例えば日暮里駅北改札口を出て、下御隠殿橋なる陸橋(跨線橋)の上から線路にそってつづく垂直崖をじっくり「観賞」するか、いずれにしても移動と定点と両様の方法がありえるわけです。

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