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地図の本 その4

中沢某の『アースダイバー』(以下、『アダイ』という)の初版は2005年5月だから、もう5年前に近い。
ずいぶん話題となり、売れもした本だったが、当初から?付きだった。
10年以上前、東上野にあった彼の事務所で、私は彼に向って「土地の凹凸」の話をしたが、彼は面白がって聴いていただけだった、というエピソードは、彼の本が出てからどこかで披露したことがある。

しかしそもそも、ベストセラーというもの自体に?を付けておいたほうがよい。あれは「空気現象」だから。

今朝の「東京新聞」(2010年1月9日)の26面(最終面)の《東京どんぶらこ》というシリーズの411回目は、中沢某が顔写真付で「四谷三丁目」を書いていて、その見出しが例によって「異界との境界地帯」というのだった。
中身は『アダイ』を、新聞用にちょっと書きなおしただけなのだが、本ではさすが担当編集者が疑問部分にチェックを入れていたと見えて、アヤシイ部分は入念に糊塗隠蔽されていたのが、新聞ではそれが「そのまんま」になっていて、4年と7ヶ月ぶりに馬脚が露呈することになった。

曰く、「このあたりがどうしてこんな地形をしているのか、その理由をいまでは私はこう考えている。いまから数千年前、地球は温暖化して、海水面はいまよりも数十メートルも高くなった。いわゆる縄文海進である。その時代、海の入り江は内陸深く侵入していた。そのために、洪積地であった四谷の高台(ここにいまの新宿通りの走っている)は、南北からの深い渓谷によって、エッジも鋭くえぐられていたのだった。/その谷の両脇の傾斜地に、古墳時代になると横穴墳墓がたくさんつくられるようになった。こうしてここは生と死をつなぐ境界地帯となったのである。」(原文ママ)

チェックの入らない文章だから、うんとわかりやすい。
「数メートル」の誤植ではない。「数十メートル」と書いている。
確かに、新宿あたりの標高は40メートル前後だから、海に溺れさせるためには「数十メートル」でなければならない。
つじつまを合わせたわけだ。

けれども、縄文海進時の海面変動は現在とくらべて3メートルほど。百歩譲っても数メートル、というのが定説。
新宿三丁目が海だったのは、数千年前ではなくて、最終間氷期の12~13万年前。
それは縄文時代なんかではなく旧石器時代だが、関東平野の大部分は「古東京湾」の下で、人間の痕跡は存在しない。

「昔々、ここは海の底」という話は、どこにでもある。わかりやすい。間違い、ではない。
地球表面全体が水だった時代もある。氷だった時代もある。
問題はその「昔」がいったいいつの話なのか、だ。

『アダイ』は、「雰囲気」と「つじつま合わせ」でできあがっていたようだ。

まことしやかなエライ人、神がかりの断言者はほかにもたくさん居て、その「説」や「人物」がなんらかのきっかけで浮上し、神話化すると、とりまきや「弟子」の類がまたそれで一商売やらかす。
世の中は、いつも変わらない。

2 Responses to “地図の本 その4”

  1. iGaon 09 1月 2010 at 23:54:09

    今朝の東京新聞ですね。
    シンちゃんまたホラ吹いて…と思いました。
    2005年の暮れにフジテレビ系列で放送された「トーキョーアースダイビング」でも「知識じゃなくって感覚」と言い訳していた彼は間違いなく「飛躍文化人類学」の確信犯でしょう。

  2. collegioon 10 1月 2010 at 11:35:08

    お目に留って恐縮です。
    心理状態のよくなかったときに書いた文章で、口吻が過ぎ、反省しています。
    削除したい気分ですが、当分このままにしておきます。
    末尾の「エライ人」とは、漢字学者の白川静氏を念頭においています。文字は呪器であった、というのはまあそうなのでしょうが、言語(音声)にまで拡張しそうな最近のもちあげられ方には、同調しないでおいたほうがよいと思っています。
    昨今は社会のあちこちに神がかりふうな物言い現象が増えてきましたので。

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