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二枚橋 その3

府中の側(南:図の下)からその二枚橋を渡り、多摩川線の下をトンネルでくぐって北上すると、国分寺崖線を上る坂道にかかる。鉄道敷設以前は、二枚橋からまっすぐ北上する坂道であった。
上り口から20~30メートルの右手に「二枚橋の坂」という小金井市の標柱が立っている。標柱の基体はコンクリート製の正方形の柱で、4つの側面にアルミの金属板が取り付けられたものである。しかし下の写真のように、ひとつの側面の説明板のみが無惨に剥がれ、ないし剥がされているのである。

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小金井市都市整備部道路管理課に訊ねると、自然剥離の可能性があるという。しかし標柱4面に貼付けられた金属板のうち、この1枚のみがきれいに取れているのは不自然である。仮に剥がれたとしても、その金属板はどうしたのだろう。付近の住人がリサイクリゴミとして処理したのだろうか。
その詮索は措くとして、この説明板は以下のような文言で、それは「小金井市坂と遊歩道マップ」(小金井市都市整備部道路管理課 2009年10月・2016年1月増刷・2019年3月増刷)にも掲載されているという。ネットでみると次のような文言である。

「二枚橋の坂/西武多摩川線沿い。江戸道(連雀街道)から府中下染谷村や深大寺、甲州街道に抜ける道があった。/二枚橋悲恋物語の元となった野川に架かる二枚橋からこの名がついた。」

標柱にもし「西武多摩川線沿い」と書かれていたとしたら、そこは余分である。が、これも措くとして、標柱から坂下へ15メートルほどのところには、以下のような石造物も立てられていたのである。

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