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『武蔵野』の古地図 その8

繰り返すが、国木田の作品『武蔵野』(雑誌掲載時のタイトルは「今の武蔵野」)の冒頭は「「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある」であった。
本項その7のA-2、B-2およびその3の該当写真を見てわかるように、それは地図に書き込まれた「武蔵野」の説明の末尾なのである。
以下に聖心女子大学図書館所蔵「東都近郊図」初版本であらためてその全体を掲げるが、該当部分は図の左端中程、図中央を頭向きにして書かれた一帯である。

ctt.jpg

この部分の向きを起こして、拡大したのが次の画像である。

ctt_edited-1.jpg

これを見て判然とするのは、この書き込み部は「武蔵野」「神田上水」「六郷渡」3項の頭に〇を付けて見出しを並列させていたということである。
それが改版以降見出しと本文との間のアキをなくした結果、「武蔵野」は見出しと本文の区別がつかなくなり、いきなり本文からはじまる体裁に変化したのである(その7のA-2、B-2およびその3の該当写真)。ちなみに「神田上水」および「六郷渡」の2項は、文政13年の改版ではやや微妙ではあるものの、見出しと本文との間にはアキが残されている。

つまりその3で読み下した「武蔵野地名考に曰く、上世武蔵野の原と称せし地は十郡に跨り・・・」は、本来は「〇武蔵野 地名考に曰く、・・・」なのであった。
この場合「地名考」とは「武蔵野地名考」であるからとくに文意に支障はないものの、この変化は注意されてよい。
そうして国木田独歩は「地名」ないし「地名考」の考証にとくに注意を払うことなくむしろそこをショートカットし、しかも「武蔵野の跡」ではなく、「武蔵野の俤」を求めたのであった。

同じ文政年間の図でも、書き込みには「〇武蔵野 地名考に曰く、・・・」(初版)と「〇武蔵野地名考に曰く、・・・」(改版)の違いがある。さて、独歩が目にしたのはどちらの文言だったか。

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