寺も墓も数回以上は訪れている。
しかし気恥ずかしさが先に立ち、この日ばかりは避けて来た。

見栄を張っても仕様がないので、授業の下見を兼ねてとうとう訪ねることにした。
今月19日の午後4時半過ぎ。
そこで目を惹いたのは、林立する花束や酒瓶よりもむしろ艶やかな朱色の粒。
透明ケース入りが幾箱も墓域に敷き詰められ、取出された粒のいくつかは墓碑の刻字に詰め込まれている。

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10人ほどの男女が三々五々。
森家の墓域からケータイで写真を撮って、「秋田とみ子」の苔がかった墓碑をなでてから、早々に寺を後にする。
新宿の「風紋」は閉じるらしい。
お別れ会に行くつもりもないし、林聖子さんにその父母のことを訊ねることもないだろうと思った。

平岡公威(三島由紀夫)は瀬戸内晴美(寂聴)に「太宰はきらいだから尻をむけて、鴎外先生の墓に花をまつってください」と手紙に書いたという(瀬戸内「三鷹下連雀」『場所』)が、森林太郎は世間が持ち上げるほど偉い作家でもなんでもない。
日本の作家として世界文学の片隅にでも地位を占めることができるのは、坂口炳五(安吾)が言うように、むしろ津島修治(太宰治)であろう。
結局のところ、われわれはその程度に「周辺」なのである。

ついでに言えば、現行千円札のあの男(野口某)の画像は「シマの蛙」たるわれわれの自画像である。
世界水準から一周遅れのうぬぼれすけべ男。

平岡も津島も、双生児と言ってもいいほど似た売文兄弟である。
ただその表現ベクトルが正反対であるだけなのだ。

《太文字(だのもじ)やチェリー詰めたる桜桃忌 青崖》

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