極月の夜の風鈴責めさいなむ
時節ゆゑ掲句としたれども、此れ奇妙なるヒユモアの底に湛へたる鋭き悲哀を感ぜしめ、あらためて秀逸句と認めずばあらず。取り込み忘れられた風鈴の軒先寒風にさらされ已まざる音を悲鳴と聴くか、或はなにがしかの感慨になぞらへて己がそをさいなむSMめきし戯画図とせしものか。否、白泉生涯を画せし治安維持法逮捕を踏まへばむしろかの大戦期「空気を読めぬ」「空気に馴染まぬ」時節遅れ者の拘引拷問の記憶転ぜしと解すことこそ自然なれ。「四合目からの出発」阿部筲人理想句と高唱してやまざる飯田蛇笏の
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
が「日本的美観」を背負ふ伝統俳句の極致とせば、こはその対極に屹立し、飯田親子が口を拭へる翼賛句作の足元を抉りたり。龍太この句執拗に貶めたりと。げに、さこそあらめ。

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