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『 Portraits in Africa ポートレイト・アフリカ 』 ―松井正子写真集―

松井正子著 ISBN978-4-902695-26-7 C0072
A4判ヨコ長 84ページ 本体2500円+税

撮影:アンゴラ共和国(ルアンダ・ロビト・ベンゲラ)、モザンビーク共和国(ベイラ・ケリマネ・テテ)、ジンバブエ共和国(ハラーレ・ムタレ・チマニマニ)

著者紹介
松井正子(まつい・まさこ)
東京都生まれ、上智大学卒。
ワークショップ荒木経惟教室で写真を学ぶ。
写真展「海からの影―ポルトガル」「遠い写真―モザンビーク・アンゴラ」「バルト」「O Sul―南へ」「Os Lusiadas」「Brasil・Brasil」「約束の場所」。
写真集『遠い眼差し』等。

著者のことば
 ポルトガルとブラジルの写真を撮り続けていたが、最終的にポルトガル領だったアンゴラとモサンビークを撮影したいと思っていた。初めて訪れた1989年当時は、日本との国交はなかった。両国ともに長い民族運動の後、ポルトガル本国での革命運動を契機に1975年に独立を達成。しかし南アフリカに支援された反政府勢力との泥沼のような内戦がはじまった。内戦は、南アフリカのアパルトヘイト関連法が全廃された年である1991年のアンゴラ包括和平協定、1992年のモザンビーク包括和平協定の調印まで続く。そのため、多くの難民が隣国に押し寄せていた。そのような状況で行くことは叶わないだろうと諦めていた時、国交のあったジンバブエからモザンビークに向かうテレビクルーがおり、便乗させてもらうことにした。
 最初に向かったジンバブエには、たくさんの難民キャンプに難民が増え続けていた。また、英国から独立の際、北朝鮮が支援した経緯があった関係で、在ジンバブエ日本大使館には日本赤軍派活動家の顔写真が貼られていた。当時は混乱が少なく比較的穏やかな時期であった。
 次に訪れたモサンビークでは、ほとんどのインフラが破壊されていた。通信、交通の手段が極めて少なく、電話ができるということがいかにすばらしいことかを再認識した。首都マプトには戦火で親をなくしたストリートチルドレンが大勢いた。
 子供たちに絵を教えているマランガターナという画家がいると出発前に聞いたので画用紙とクレヨンを持参した。日曜日に絵を教えている場面に立ち会うと、大勢の子供たちが自由に地面に棒で線をひき、石や枝や、落ちているものを使い、絵を描いていた。絵はすべてを奪われても描けるのだ。絵の概念が画用紙・クレヨンに直結する自分の頭の貧困さを思い知った。2004年にトリノの大学でモザンビークから来た大学院生に会った折、マランガターナを知っているかと聞いたら、今は美術学校の教授になっており活躍していると話してくれた。その後、2011年1月に75歳で逝去し、モザンビークを代表する画家として国葬された。

 最後にアンゴラに向かうことになるが、入国には厳しく、入国許可は事前にはだせないが、来たければとにかくルアンダ空港に来るようにと言われ、この機会を逃したらもう二度と行けないのではと思い、向かった。ハラーレ発の飛行機で夕方ルアンダに降りた人たちは既に入国し誰もいなくなった。入国審査官1人しかいない空港に放置された。静けさの中、持参した蚊取り線香を焚き、ハラーレで買ったウィスキーを飲んでいた。明日の飛行機で戻らねばならないかと考えていると、日付が変わり、やっと情報省からの許可があり入国できた。経験のない旅の始まりだった。
 アンゴラは撮影制限が厳しく自由に動くことが困難だった。無断で撮影した人が捕まったばかりだから注意するようにと南アフリカから来たBBC放送のカメラマンに教えられた。思うように動けないでいると、明け方、突然に情報省からベンゲラにいけることになったから空港にくるようにと電話がある。しかし、空港で待っていたのは、兵士が向かい合って座る戦闘機であった。反政府軍に占拠された上空を通っていくため、兵士たちの表情は皆硬い。自分にはその恐怖をイメージする事ができなかったのは幸いであった。
 街では子供たちは、どこでもボールの替りにぼろ布を丸めサッカーに興じていた。野球をしている人たちがおり、珍しいのではないかと尋ねると彼らはキューバから来た兵士だと言われた。また、驚いたことは、この国交さえない国に住友商事や小松製作所などから駐在員が派遣されていたことだ。企業戦士の一つの意味を理解した。彼らから、通常の買い物は、アンゴラ通貨が価値をなさず、ドルで買ったビールが通貨がわりになっていると聞いた。これらの国々でカメラを向けた人々は、エネルギーがあり不思議な力強さがあった。
 この写真集は、アフリカで撮影した写真をポートレイトという視点でまとめた。どこの国であれ、どのような状況であれ、日々の営みを繰り返し生きる人々がいる。その眼差しを受け止めた。写真は、必ず対象があることから始まる。私が見ているが、私は見られているという対等の関係。シャッタースピードと同じ一瞬の接点の中、人に内包されるエネルギーが閃く。

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