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書評「みんなの空想地図」 

メディアの大変動期に出現した、真摯な求道地図

今和泉隆行著、白水社刊
今和泉隆行著、白水社刊

発売から三ヶ月、都内の公共図書館はどこも「貸出中」で、予約も目白押し。書店店頭でもあちこちで品切れ。テレビ番組で紹介された影響も大きく、本書は売れているようです。 
ワールド・ワイドな知名度をもつ「空想地図」は、R・S・スティーヴンスンの『宝島』をもって第一としますが、本書には「リベルタリア」や「ユートピア」のような「空想」が介入した形跡はまったく存在しません。そのようなワールド・ワイドな「空想の伝統」と隔絶したところに誕生したことが、この「空想地図」の特徴でもあり、新鮮味でしょう。  

著者紹介に「地理人」とありますが、読後感は「地理」というよりも、幼児の一人遊びから発して「都市計画」に至った印象。だから「空想」もきわめて「実際的」で、版元が「都市のコミュニティデザインの魅力」と喧伝する所以でしょう。だから、ここで強調しておかなければならないことは、開陳されているのは、「地」図ではなくて、「都市」図であり、その「図」と著者自身との「成長の記録」にほかならない、ということです。しかし、この書籍の最大の特徴ないし魅力とは、書籍の中身もさることながら、むしろその本体をくるんでいる、カバージャケットなのです。

薄い透明「プラ」カバーを外し、厚手用紙に印刷されたカラフルな折りたたみジャケットを広げれば、天地380ミリ左右460ミリほどの大きさ。縮尺1:10000の「中村市詳細道路地図」が翼をひろげる。その出来栄えは市販の「道路地図」と寸分たがわない。
そこで判然とするのは、「空想の都市」の図が人を魅惑するとすれば、それは「現実の都市」の図(道路地図)に「見紛う」という一点に懸っている、ということでした。それは一種の「眩暈」感覚、換言すれば「トリッキー」な面白さなのであって、テレビ番組はその「マニアックな魅力」を摘まんで、拡散させたといえるでしょう。

しかしながら、著者のスタンスはトリッキーどころか、描図および都市の「リアル」を求めるにおいてきわめて真摯であって、「架空の土地を設定」するも、その「言語化できない空気感を、主観を抜いて、いかに地図や統計で示すか」と腐心する様や、一旦できた図に対しても「自分の所感を検証することによって、今度は自分を俯瞰するポジションに立」つと述べ、さらに「フラット」な「俯瞰の境地」を繰り返し述べていることからもわかるように、求道者の営為に近いものがあるのでした。

「中村市」が「なかむらし」でなく、「なごむるし」であるのは、「小学五年生の一月」に転校してきて、空想地図を一緒に描いてくれた友人の姓に由来し、彼の「読み方だけは変えてほしい」という要望によってそうなったのだといいます。その「中村市」も、本文中のカラーページで紹介されているように、第1訂(1997)から第8-3訂(2011)まである「中村市地図」が、その手描きの第8-1訂(2001-2003)どまりであったとしたら、決して人を振り向かせることはなかったのです。

著者が受験と大学入学端境期に、自らの手描き図をパソコンソフトでトレースするところから「デジタル地図」の世界に入り込んだのは必然でもあり、決定的でした。

かつてきわめて狭い範囲に限られていた地図製作の「職能」世界は、今日では意志すれば個人が趣味で描いたものが立派に「通用」するまでに拡張されたのであって、われわれが巨大な地すべりのごときメディア変容に立ちあっている、という事実も本書が明らかにしたこと。タイトルの「みんな」はそれを暗示しています。

残念なのは、著者の「フィールドワーク」が、地表上、時間的にも空間的にもまことに特異な、しかしわれわれが親しんで怪しまない、日本列島都市生活圏の「内部」にほぼ限られていることです。「3・11以後」のわれわれに必要なのは、「外部」の視座であることは、言うまでもないのですが。
(芳賀ひらく「図書新聞」第3144号・2014年2月1日)

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